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シャルル4世 (ロレーヌ公) : ミニ英和和英辞書
シャルル4世 (ロレーヌ公)[しゃるる4せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

シャルル4世 (ロレーヌ公) : ウィキペディア日本語版
シャルル4世 (ロレーヌ公)[しゃるる4せい]

シャルル4世(Charles IV, 1604年4月5日 - 1675年9月18日)は、ロレーヌ(在位:1624年 - 1625年、1625年 - 1634年1661年 - 1675年)。ドイツ語名ではカール4世(Karl IV)。父はフランソワ2世、母はザルム女伯クリスティーナ。ロレーヌ公ニコラ2世フランスルイ13世の弟オルレアン公ガストンの2番目の妃マルグリットの兄。
1621年に伯父アンリ2世の娘で従姉のニコルと結婚、1624年の伯父の死後ニコルと共にロレーヌ公位を継承したが、翌1625年に父がロレーヌ公に即位、同年に譲位される形で公位を継承した。
1631年、フランスでルイ13世の母マリー・ド・メディシスと弟のオルレアン公ガストンが政争に敗れフランスから追放、ロレーヌに逃げたガストンを匿い妹マルグリットとガストンを結婚させたが、フランス軍の侵攻を受け降伏、フランスへ譲歩を余儀なくされた。1634年にスペイン領ネーデルラントから支援を受けて反乱を起こしたが、フランス軍に鎮圧されてしまい退位して弟のニコラ2世に譲位、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の下へ亡命して三十年戦争ではオーストリア軍の将軍として活動した。
1652年フロンドの乱に介入したが失敗、1661年にニコラ2世から公位を譲られ復帰したが、1670年に公国はフランスに占領され、以後20年以上ロレーヌ家の一族は公国を取り戻すことがなかった。オランダ侵略戦争では皇帝軍の一員として参戦し、1675年にコンザールブリュックの戦いでフランスの将軍クレキを破り、トリーアを落としてクレキを捕らえたが、同年に71歳で死去、甥のシャルル5世が公位を継いだ。
しばしば「シャルル3世」とも呼ばれるが、これは下ロレーヌ公シャルルを数えない場合の呼び名である。
== 子女 ==
1621年にニコルと結婚したが1635年に離婚した(教皇庁から婚姻の無効は認められていない)。ニコルとの間に子供はいない。
1637年ベアトリクス・ド・キュザンス(1614年 - 1663年)と再婚、3人の子を儲けた。但し、ニコルとの結婚関係は無効とされていないため、子供達に継承権は無かった。
*フランソワ(1637年 - 1638年)
*アンヌ(1639年 - 1720年) - 同族に当たるフランソワ・マリー・ド・ロレーヌと結婚
*シャルル・アンリ(1649年 - 1723年) - ヴォーデモン公

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャルル4世 (ロレーヌ公)」の詳細全文を読む




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